自伝

土地売却事件

会社を辞めて少ししてから、私の許に母の依頼していた税理士から電話が入り、私に印鑑証明を二通用意して欲しいと言った。 私が用途は何かと訊ねても、その税理士は誤摩化して答えなかった。 怪しいと思った私は、休みの日に、実家に預けてあった実印を、忍び込んでこっそり取り戻してしまった。 それから数日経って、母から電話が入り、実家の土地を売りたがっている事が判明した。  私はその時母に、「先祖代々の土地を売る事はまかりならん、ましてや嫁の分際で土地を売るのはけしからん」と答えたのだ。 その言葉は、兄が言った事になっているが、実は私が言ったのである。 当時は地価が一番高騰していた時期で、坪千五百万して居り、下手をするとサラリーマンが一生掛けても稼げない金額になってしまうので人生を狂わせるから、自分はあくまで反対だ言い張ったのである。 母が売りたがっている土地に丁度祖母が生きている時に贈与してくれた私の持ち分が十六坪あったので、別の場所に等価交換する寸法だったのである。 聞けば、他の兄弟達は当時アメリカに居た姉を含めて皆判をついたと言う。 長兄の持ち分だけがそこから外れていたらしい。 今でも、覚えているが、和室の縁側の所で、兄に、「自分が判をつかなければ売れないんだよ」と念を押した記憶がある。 新しく私の物になる予定の所が、通路部分であった事もあって、、最終的に私は、どうせ売るなら等価交換なんてしないで自分の名義のまま売ってくれと答えた。 そして私は、にわか成り金になったのである。 今こうして文章を書いていられるのもその御先祖様の土地のお陰である。 今から思えば、母が私に家を建ててくれると言った時から、この土地の売却は母の計画に既に入っていて、あの度重なる増築はそれを暗示していた事に、当時生活するだけもやっとだった私は気が付かなかったのである。

成城に居を構える

擦った揉んだして、遂に私も成城の家に住めるかのごとくに思えたが、現実はそう簡単には行かなかった。 実はアパートに一緒に住んでいた女性がいたのである。 私が彼女と一緒に住んでいたアパートの部屋の前で工事はみるみる進んで行き、ツーバイフォーの洒落た家になって行った。 彼女は、私の居た東急百貨店の商事部に後から配属になった、私の高校、大学の後輩に当たるNという人間が離婚したM子という名前のしかっりした女性だった。 私が会社を辞めようと思っていた頃Nは配属されて来た。 年が私よりも八年も下であるので、勿論学校で一緒の時期は無いが、高校、大学一緒だと何故か八十パーセントは信頼出来る感じになるものである。 その内、よく彼と連れ立って飲み歩く様になった。

Nも最初の内は仕事を一生懸命こなし、注文を取って喜んでいたりしたのだが、段々元気が無くなって来た。 ある日、彼が深刻な顔をして、奥さんと旨く行っていない事を私に打ち明けたのである。 父親に対するコンプレックスの様な事も言っていた事がある。 私はいつも相談に乗っていたが、Nは段々自棄になって来て、もうどうでもいい様な事を言う様になって来ていた。 私が幾ら馬鹿な事は止める様に言っても聞き入れないで、辞めると言い続けていた。

私は一度奥さんの話も聞いてみようと、或日、彼のアパートに試しに電話してみたのである。 たまたまそのM子が家に居て電話を受け、私は自分が何者か名乗り、事情を説明したのである。 話してみると極普通のしっかりした女性だった。原因はすぐに判った。 彼女の方がしかっりしている事が原因なのである。上手なのである。 会って話を聞けば、Nは実家がアパートの傍に在るので、実家に居て別居しているとの事だった。 知り合ったのはどこかのバーで友達と飲んでいた時に話し掛けられたと言っていた。 それは、私がNから直接聞いた話の内容とも一致した。 彼女と会って双方の話を聞いた途端、私は馬鹿らしくなりその時からNを説得するのを止めてしまった。 彼が離婚したら、私が結婚しようと思った位であった。 その内Nは会社で会っても悪怯れて、何も言わなくなってしまい、とうとう離婚してしまった。 その後すぐ、私も会社を辞め追ってNも辞めたのである。

ところが、一緒に住み始めたMと旨く行かなかったのである。 彼女はクラシック音楽が好きで、彼女が実家から持って来たピアノが新築の居間に良く似合い、始めの内は二人でよくクラシックを聴いたり、コンサートにも行ったりもした。 会社を辞めた私は一日中家に居て、少し経ってから、二階の書斎でM子と、机を並べそれぞれ別々に勉強を始めたのである。 M子は読書も好きだったと見え、彼女が持って来た、立派なマホガニー色のスライド書棚には、彼女自慢の中央公論社の、「世界の名著」のシリーズが並んでいた。  母も最初の内は彼女を可愛がって呉れているかの様に見えた。 その内、「彼方なんてインテリとは言いません」と言われたとか、 M子が、私の留守中にいじめられたと報告する事が多くなって来た。 最初の内は、よく有りそうな事ばかりだったので、私は小さいノートを一冊用意し、聞いた事を書き留める様に心掛けた。 或日彼女が、母屋の食堂のテーブルの上に置いてあった現金の事で、母に疑われたと言って来た事があり、 幾ら私の信用していない母でも、金に関してそれ迄汚い事をした事は無く、逆に金を使うのが好きな浪費タイプだったので、私はその時おかしいと思い始めたのだ。 「本当にお前じゃないんだな」と問いただすと、「実は、私が同窓会費に流用してしまいました」と告白したのである。 「何故、金の事だったら俺に言わないんだ」と言ったが後の祭だった。 彼女は母に虐められたのをいい事に、私と母が余り旨く行っていないのを逆手に取って利用したのである。 一つ旨く行かなくなると、全ての歯車が噛み合わなくなって来る。 母が間に入ると、特にそうである。 その内、M子の飼っていた猫の事で問題が生じ、私が描いていた成城に復帰する夢は消えてしまったのである。

私は、成城で落ち着いた暮らしがしたかったのであり、一人で一軒家に住みたかった訳ではなかった。 今度こそ大丈夫だと思っていたのに、私はまたもや大きな失敗をしてしまった。 それも、早く気が付いていれば、ここ迄傷付く事はなかった。 それを、馬鹿だった私は、彼女と一緒に住み始めてから気が付いたのである。 私はてっきりM子が前の夫であったNと旨く行かなかったのは、男の方に問題があると思い込んでいたのである。 実際の問題はもっと前に存在したのである。 私はそれを彼女から打ち明けられてから後、重すぎて私の手には負えないと実感しつつあった。 それを覚ったM子は、増々助長し、次々と新しい事実を、それも私が一つ乗り越えると又一つと、まるで私が悩んで苦しむのを見て楽しんでいるかのように打ち明け始めたのである。 その度に、私の身体の中を嵐が吹き荒れ、吹き抜けて通り過ぎて行き、私は自分の精神状態がぎりぎり迄追い詰められてしまったのを感じた。 それから間もなくしてM子は出て行ってしまった。

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